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春風学寮では毎週日曜日の午前中を、人類不朽の古典である聖書の学びにあって、若人の人生観を陶冶することを目指しています。 創立者道正安治郎氏は聖書の学びを内村鑑三、塚本虎二両氏に師事し、純粋なキリスト教信仰に基づく寮運営を目指しました。 現在でも全く同じ方針によって春風学寮は日々運営されています。 毎週の聖書集会では小舘美彦寮長を中心に、多彩な個性を持つOB諸氏、寮関係者による聖書の講解がなされます。 | ||||||||||
イエス誕生の意味 | |||||||||||
2020年12月19日春風学寮クリスマス礼拝 | |||||||||||
聖書 マタイによる福音書 序 クリスマス礼拝 1.聖霊による身ごもり 2.東方の三博士 3.ヘロデ王 4.まとめ |
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アブラムの旅立ち | |||||||||||
2020年10月4日春風学寮日曜集会 | |||||||||||
聖書 創世記 序 復習+α 1.生まれ故郷を捨てよ 2.なぜアブラムは生まれ故郷を捨てることができたのか 3.信仰に代わるもの 4.まとめ |
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バベルの塔の意味 | |||||||||||
2020年9月27日春風学寮日曜礼拝 | |||||||||||
聖書 創世記 序 復習+α 1.なぜ塔を建てるのか 2.なぜ神は言語をばらばらにしたか 3.二つの協力 まとめ |
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「ノアの洪水」 | |||||||||||
2020年7月26日春風学寮日曜集会 | |||||||||||
創世記 序 復習+α 1.人間が悪いのは神様のせいか 2.全知全能の抑制 3.全知全能の発動 4.なぜノアだけが救われたのか 5.ノアの献げ物 |
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「悔い改め」 |
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2020年7月12日春風学寮日曜集会 | |||||||||||
創世記 序 復習+α 1.命の危機と悔い改め 2.根源的不安の原因 3.根源的不安を取り除くもの |
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「自分を義とする心、比較する心」 | |||||||||||
2020年7月5日春風学寮日曜集会 | |||||||||||
創世記 序 復習 1.命の根源である神 2.判断のずれ 3.難解な文の解読 4.自分を義とする心 5.比較する心 6.神様の基本的態度 |
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「恵としての罰」 | |||||||||||
2020年6月28日春風学寮日曜集会 |
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創世記 序 復習 1.男と女への罰 2.罰の理由 3.最も価値のあるもの 4.死の恵 5.まとめ |
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「男と女の創造」 | |||||||||||
2020年6月14日春風学寮日曜集会 | |||||||||||
創世記 序 人格の大きな影響力 1.人間の目的 2.助け合いの必要 3.愛の本質 4.究極の愛 5.まとめ |
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「人格を生かす道」 | |||||||||||
2020年6月7日(日)春風学寮日曜集会 | |||||||||||
創世記 2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 2:8 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 2:9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。 ・・・ 2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。 2:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」 ・・・ 3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」 3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」 3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 3:8 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 3:10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」 3:11 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」 3:12 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」 3:13 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」 序 命の息(復習を兼ねて) 1.エデンの園の謎 2.なぜ神様は「善悪の知識の木」を植えたか 3.「善悪の知識の木」とは何か 4.まとめ |
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生物と人間A | |||||||||||
2020年5月31日春風学寮日曜集会 | |||||||||||
創世記 序 復習 1.「支配」とは 2.異なる自然観 3.自然崇拝思想の限界 4.聖書の考え方 5.まとめ |
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「生物と人間」@ | |||||||||||
2020年5月24日春風学寮日曜集会 | |||||||||||
創世記 1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。 1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。 1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。 2:1 天地万物は完成された。 2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。 2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。 序 聖書の柱をなす二つの知恵 1.「我々に似せて、人を造ろう」 2.人格とは何か 3.個性とは何か 4.具体的には 5.人格の確立 6.まとめ |
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「聖書と科学」 | |||||||||||
2020年5月3日春風学寮日曜礼拝 | |||||||||||
聖書:創世記 序 近代人になろう! 1.聖書の読み方 2.神とはどのような存在か 3.世界の意味 4.まとめ 付録 聖書と科学の相互補完性 |
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聖書の基本 | |||||||||||
2020年4月5日春風学寮日曜集会 |
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聖書 1.旧約聖書と新約聖書 2.誰が聖書を書いたのか 3.聖書と事実 4.寮の立場 |
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「財産と富」 | |||||||||||
2019年10月6日春風学寮日曜集会 | |||||||||||
マタイによる福音書 序 愛を邪魔するもの 1.天に富を積め
「地上に富を積む」とはどういうことか。言うまでもなくこの世において富を貯め込むことである。その富が「虫に食われたり、さび付いたり、盗人に盗まれたりする」とはどういうことであろうか。「虫に食われたり、さび付いたりする」とは、価値が失われていくということである。現代で言えば、土地、家屋、有価証券、通貨の価値等が暴落していくことに相当する。財産が「盗人に盗られる」とは、要するに誰かに奪われるということである。つまりイエスは、この世の富というものはすぐに価値がなくなったり、誰かに奪われたりする不安定で当てにならないものだから、そのようなものを貯め込んでもむだだと言っているのである。
「天に富を積む」とはどういうことであろうか。今までの流れに目を向けるならすぐにわかる。愛を実践することである。「虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない」とは、価値が失われることもなく、誰かに奪われることもないということである。つまりイエスは、自分を犠牲にしてまで他者を大切にしようとする愛の行為は、永遠に価値が失われず、誰かに奪い取られることもないと言っているのだ。言い換えれば、そのような愛の行為は、永遠に神によって記憶され、祝福されるゆえに最も頼りになるものだと言っているのだ。なんだか、愛を実践しようという気にさせる言葉ではないか。
文字通りの意味は理解できるだろう。「地に富を積もうとするならば、その人の心は地にあることになり、天に富を積もうとするならば、その人の心は天にあることになる」というわけである。しかしこのように言われても、その意味ははっきり理解できないだろう。そこで解説を加えるならば、「心が地にある」とは、心がこの世にとどまり続け、この世のことに束縛され続けるということである。対して「心が天にある」とは心がこの世にいながらにして神の国にあり、この世のことに縛られずにいられるということである。つまりイエスは、「地に富を積もうとするなら、その人の心はこの世にとどまり続け、この世のことに束縛され続けるが、天に富を積もうとするなら(愛を行おうとするなら)、その人の心はこの世にいながらにして神の国にあり、この世のもろもろのことから解放されて自由になることができる」と述べているのだ。 2.目を濁らすもの
この文を理解するためには、当時の人々の目に関する考え方を学ぶ必要がある。当時のユダヤ人は、目は体の窓であり、ここを通って光が体の中に入ってくると考えていた。だから、目が澄んでいれば、体の中にたくさん光が入り、体全体が明るくなり健康になる。対して目が濁っていれば、体に光が入りにくくなり、体全体が暗くなり病気になると考えていたのだ(新聖書注解1)。この考えを霊的な光に転用してイエスは言う、「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い」と。つまり、目が澄んでいるなら、霊的な光があなたの中に入り、あなたの心を健全に保つ。しかし、目が濁っているならば、霊的光はあなたの体に入らず、あなたの心は病んでしまうとイエスは言っているのである。そしてイエスはさらに畳み掛ける。「だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう」と。すなわち、霊的光が消えてしまったら、あなたの心はどれほど病んでしまうことであろうと。 3.兼ね仕えることなどできない
ここでイエスは、一気に話の核心へと入る。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」と。 4.まとめ |
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